特別支援学級、支援が必要な子って?理解してもらうためのこども向け「絵本」

発達神経症、ASD、ADHD特性、学習障害、聴覚過敏をこどもに理解してもらうためのこども向け絵本。
自分のあたりまえは、他の子にとってもあたりまえとはかぎらない。メガネをかけている人が普通に身近にいる「あたりまえ」。
それと同じように聴覚や、学習、臭い、手足、味覚、神経や感覚にも見た目でわからない「違い」があってあたりまえ。

いろんな違いを理解すること想像することで、もっともっと子どもたちに優しい社会に。

支援級にいる子、通級への「理解」が保護者にも子どもたちにも、先生たちにも希薄だと感じたこの2年間。わからないから勘違いされる。

どうやったら伝わるんだろう。と考えに考えて作った一冊。
幼稚園、保育園、小学校、中学校の生徒、先生たちへ向けた一冊。
見た目ではわからないそれぞれの感覚の違いを想像理解しあえる社会へ。

Amazon.co.jp: あたりまえってなんだろう? eBook : なすび: Kindleストア

特別支援学級という名前について

特別支援学級という名前がついていますが、どちらかというと個別学級とかでいいのでは?
と感じます。

総じて個別学習に向いている生徒ということなので、常に「支援」されてばかり、「特別な支援」をされないといけない子どもたちではありません。

名前によって固定概念が決まってしまいます。
名前からなぜだか親も子も申し訳なくなり、そしてこどもは自信を無くすのでは?

目が見えにくい子がその子にあったメガネを見つけるように、その子その子にあった学習方法、やり方があるだけです。そしてその学習自体もその子の学習の権利であって、義務教育です。
支援でもなんでもありません。「個別学習に向いている子」でよくないでしょうか?

メガネをかけている人を、発達障害者といいますか?視覚障害者といいますか?支援が必要な人ですか?

ADHD,ASD,境界知能,いろいろな感覚過敏、学習障害、傾向や特性があるだけで、みんな何かしらどれかにあてはまるともいわれる特性。

個別学習が必要だからといって、一斉学習のクラスの子達と成績も変わらない。もしくはもっとできる子達だっている。ただ感覚の違いで一斉学習が向いていない。その子のやり方、方法、道具が必要なだけです。勉強できるのに、個別に学習していてずるいわけでもなんでもない。メガネだってそう。

「支援」ではなく理解が必要な教育現場。

自分はこうなんだ、だからこういうやり方なんだ!
自信を持ってそれが当然の教育にしていかなくてはと思います。

そんな理解を保護者、先生、子どもたちみんなに広まることを願った一冊。

コメント

タイトルとURLをコピーしました